キャッチってうざい

2001年9月21日
今日は母と新宿へ買い物に行った。
ルミネ、京王デパート、MYシティと駅周辺ビルをはしごしてジャケットやらアンサンブルやら買ってもらった。
もうコートも出てるんだなー。
早い早い。
大蔵大臣(母)を連れてまた買いに行かなくては。

ビルから出て、アルタ前から丸井方面へ歩いているとキャッチのお兄さんに、
「あのーすいません。」
と声かけられた。
無視して歩くと、
「すいませーん。ちょっと・・・。」
としつこく追ってきた。
けどそこでお兄さんは私の隣にいた母の存在に気が付いたのか
「あ、お母さんと一緒なんですね。」
と苦笑いして消えていった。

「しつこいのねー。」
と呆れた様子の母。
女一人で歩いてるとすぐ来るんだよな。
東京に出てきたばっかりの頃は、無視するのが悪い気がして、話聞いてあげるだけはしてたけど、今そんなことしたらどこに連れ込まれるか分かったもんじゃない。

1回アンケート書くだけ!って言われてついて行ったら20万の化粧品買わされそうになったし。
ちゃんと後から断ったけど。
いやあ、いい経験したなあ。

その後歩いているとまたキャッチから次々声かけられて来た。
その度に母が自分の存在をアピール(笑)
助かったよ、マミー。

父の出張

2001年9月20日
今父が出張でずっと京都に行っている。
なので家には私と母の二人。
でも全然さみしくない(笑)
ごめんね、お父さん。

父が長期間いないと、思い出すのは高3時代。
当時、父は北九州に単身赴任していた。
私は沖縄の高校に通っていて、受験もあったし、一人で行ってもらったのだ。

社宅で母と二人きりの生活。
文字にすると寂しいけど、実際は快適だった。
特に母はのびのび過ごしてたように思う。

別に父と仲が悪かったっていうワケじゃない。
ただ父は家の中の事は私以上にやらない人。
家事はもちろん、近くにある新聞だって
「取ってくれ。」
と言う人。
とにかく自分では何一つやらない人。

そんな人が一時的にでもいなくなった家は・・・。
自由だったです、ハイ。
もちろん最初は心細かったけど。
でも快適だった。

特に母が自分の時間をたくさん持てて、お琴の教室に通ったり、刺繍を習ったり、のびのびと過ごせてた。
父がいる時は帰ってくるまでに夕飯の仕度を終わらせておかなきゃ、と忙しくて。
帰ってきたら帰って来たで、何もしない父の世話に忙しくて。
それに嫌気がさしてたワケじゃないんだろうけど。

1回娘と二人の快適な生活を経験しちゃう、と。
それが忘れられないのかな。

「あの時は二人でけっこう過ごせたねー。」

時々懐かしそうに語る母。
目がキラキラしてます。

反対にあの時毎日電話をかけてきて、さみしそうだった父。
「九州男児なら耐えろ!」
と二人が電話をしてる後ろで毒吐いてた私。
遅い反抗期ですな(違)

驚きの遭遇!!

2001年9月19日
今日は卒論で学校に行った帰りに吉祥寺へ寄った。
いつものごとく薬局巡りをしていたら、横を通った人に見覚えが・・・・。
何と高校時代同じクラスだった友達だった!
向こうも私に気づいて
「おお、ののり〜な!!!」
と驚いていた。

いやーすごい偶然。
だって私が学校から真っ直ぐ帰ってたら会えなかったんだよ。
寄り道してよかった(笑)

彼女は沖縄から妹さんが遊びに来ていて、東京を案内していたらしい。
沖縄か〜懐かしいなあ。

高校時代の彼女は服のセンスがちょっと人と違っていた。
何と言うか、お人形さんが着るようなロリータっぽい服を好んで着ていたと思う。
初めて一緒に遊びに行った時、その可愛い服に驚いた記憶がある。
髪型は横髪だけ短く残りはロングの「お姫様カット」で、外見はすごく個性的な子だった。
でも性格は明るくて話しやすい子だった。

今日の彼女はアジアちっくな洋服を着ていて、
「趣味が変わったのかな?」
と思ってしまった。
彼女は一浪して大学に入ったので、今3年生。
来年は就職活動だ。
外語大に行ってるけど、服飾関係の仕事に就きたいと目をキラキラさせて言っていた。
彼女にピッタリの職業って気がした。
うらやましい、夢があって。

この広い東京で元クラスメイトに会うなんてすごいことだ。
しかも沖縄時代の(笑)
帰ってきてからもいい気分だった。

プロジェクトX

2001年9月18日
以前母から
「観たら絶対泣く!」
と聞かされていたプロジェクトX。
観ちゃいました。
泣きました。

今日は8年前の鹿児島で起こった大雨による土砂崩れから650人が奇跡の生還を遂げた事について。
実際にその場で土砂災害にあった警察官のおじさんと赤ちゃんと一緒だったお母さんをゲストに迎えていた。

土砂が崩れて通れなくなった国道で立ち尽くす650人もの人々。
その中で必死に皆を統制しようとする警察官のおじさん。
赤ちゃんと一緒のお母さんは、崩れてくる土砂を見ながら
「この子は何のために生まれてきたのだろう。」
「苦しんで死ぬため?」
と思ったそうだ。

土砂で道路から救助は出来ないため、近隣の漁師さん達が自分の船を使って救助へ。
大雨で波は高く、荒れている中を来た海の男達。
どこからそんな勇気が出てくるんだろう。

結果奇跡的に650人は無事生還出来た。
テレビを観ていて大泣きしていた私と母。
これは番組の作り方が上手いなあと思う。
重厚感というか、民放にあるようなわざとらしさがないのだ。
田口トモロウのナレーションもいいし(笑)

途中鹿児島の姉から電話がかかってきた。
姉が看護婦として働いている病院でも、この番組は話題になったらしい。
でも何人かの年配の人は、
「辛いから観たくない。」
と言っていたそうだ。
この災害で亡くなった人もいるらしい。
ちょっと・・・・いろいろと考えさせられる番組だったなあ。

卒業アルバムのお金

2001年9月17日
今日、後期の時間割を探していたら見覚えのある封筒が・・・・。
お金も一緒に入ってた。
ふいにとある日の記憶が甦る。

8月初めに我が家に送られてきた振込用紙。
それは卒業アルバムのお金の振込み用紙だった。
振込み期限は8月いっぱい。
母から、
「早く振り込んで来なさいよ〜。」
とお金を渡され、
「分かった。」
と言いつつその辺に置いといたのだ。

おおおおーーーーーー。
どうしよ、忘れてた!!!!!
今何月?9月だよね。
分かってるのにカレンダーを見てしまう。

どうしよどうしよ。
とりあえず友人にどうしよメールを送る。
返ってきた答え。
「アルバム制作委員会に電話しろ。」

でも電話番号はアルバムを出版する会社のしか書いてない。
ここに電話していいのか?
ここはアルバムを作るだけじゃないのか?
お金を管理してるのは制作委員会じゃないか?
様々な考えが頭を巡る。

結局まだゼミの撮影や個人撮影は終わってないという事実から、
アルバムは作られてない=まだ間に合う(かも)
という結論に達し、学校が始まったら制作委員会に直接言いに行く事にした。
やべえ、怒られるかしら。
その時は逆ギレしよう。

友達曰く、
「毎年ののり〜なみたいな子がいるんじゃない?」

いるね、絶対。
お気に入り日記を読もうとしても、しばらく待てと言われる今日この頃。
夜は混むからねー。
そういえば、前アンケートに答えたけどあの意見は今後生かされるのかな?
是非とも日記の色を増やして欲しいっす。
ピンクとか赤とかにしてみたい。

今日はカットを予約しようと思って美容院に電話をかけた。
「18日の2時に・・・・」
と言いかけると、
「すみません、火曜はお休みなんです。」
と見習い美容師さんのすまなそうな声。
あ、そうなんだ・・・(汗)

「じゃあ月曜で・・・」
と言いかけると、
「その日は○○(担当の美容師さん)はお休みでして・・・。」
とまたすまなそうな声。
ガーン!Σ( ̄◇ ̄;)

「またかけます。」
と言って電話を切った。
その日にかけ直そうかと思ったけど、同じ人が出ると恥ずかしかったので止めた。
2回もダメ言われると何かくやしい。
そんなに人気のある美容室じゃないのに(おぃ)
明日電話しよう。

小遣い帳と19の私

2001年9月15日
今日は1日家にいた。
どっかに出かけた翌日は必ず家にいることにしている。
特に疲れてなくても何となく。
やることなくても何となく。
そうすると落ち着くっていうか、何かね。

とりあえず昨日の分の小遣い帳をつける事に。
中学からずっと小遣い帳をつけている。
ちゃんと何に使ったか書くとすっきりするのだ。
けど、ただ書くだけ。
「今月使いすぎちゃったわ〜。」
なんて反省することは滅多にない。
「使ったものはしょうがないか。」
って思うことにしてる。
後悔するのが嫌なだけかも(笑)

大学1年の時の小遣い帳を見るとおもしろい事が分かる。
当時朝夕食事付きの寮に住んでいた私は、大学では昼食だけコンビ二で買っていた。
以下その内容。

6月7日 おにぎり2個 野菜ジュース
6月8日 おにぎり2個 リンゴジュース
6月9日 おにぎりとパン 野菜ジュース

見事に偏ってますな。
炭水化物ばっかりやん。
おかずを買うことを考えなかったのか、19の自分。
ちゃんと野菜を取ろうという気持ちはあるみたいですな。
こういう発見があるのも小遣い帳の楽しみ方の一つ(笑)

タバコ大嫌い

2001年9月14日
朝食の為に7時に起きた。
昨日夜中までしゃべってたのでかなり眠かった。

朝食は和食と洋食から選べるものだった。
最初は同じ部屋の子と、
「洋食だよね〜。」
と言ってたんだけど、他の子が
「和食の方、あの「吉兆」だよ!」
と言ってきたので速攻変更(笑)
だって「吉兆」ですもの。

東京組、全員で朝ご飯を食べる事に。
男の子達は4時くらいまで起きてたらしく、皆ボーっとしていた。
髪もハネてたし。
女の子達はこんなに朝早くてもしっかりお化粧してたからすごい。
私もマスカラまでばっちりだった。
起きたてで、まぶたはぼってりしてたけど。

朝定食が出されたけど、たくさんあって全部食べきれなかった。
さすが「吉兆」(しつこい)

でも食後の一服とばかりにタバコを吸い出す男の子がいて、ちょっとひいた。
「吸っていい?」
ぐらい聞いてよ。
「ダメ。」
とは言わない(言えない)んだからさ。
服や髪に匂いがつくし、すごい不愉快になる。

昨日の懇親会でも、幹部の人達はほとんど吸っていた。
社長は吸わないのに。
社内は禁煙だからいいけど、これから社会人になって飲み会とかではぷかぷか吸われるんだろうなあ。
いつか酔いにまかせて水ぶっかけそうです。

大阪で懇親会

2001年9月13日
今日は内定先の懇親会が大阪であった。
新幹線に乗りこむと、見たことある顔が・・・。
それは同じ東京支社で働く同期3人だった。
目が合って、
「おーっ!!」
と喜ぶ4人。
同じ新幹線ってだけでもすごいのに、同じ車両だとは何たる偶然。
縁を感じますな。

一緒に会場になるホテルまで行って、しばし幹部の人達を待つ。
自己紹介を1分間ずつ割り当てられていたので、文章を必死で頭の中で構成する。
学校で学んだ事と、卒論の事と、趣味と・・・。
あー、紙に書いておけばよかったなあ。

社長と幹部の方々がやってきて、懇親会開催。
私の席は何と社長の隣だった。
左隣にはずっと面接官をやっていた部長さん。
同期からは
「VIP席だね。」
と大爆笑。
誰か代わって〜。
何話せばいいの〜(笑)

社長さんは私たち学生に気を使ったのか、いろいろと話し掛けて下さった。
学生生活の事やこれからのビジネスモデルなどなど。
あんまり分からないこともあったけど、社長さんって傲慢な人が多いのかなと思ってたから、気を使ってくれてるのが分かって嬉しかった。

東京から来た組は、そのままそのホテルに宿泊。
私は女の子の同期とツインの部屋へ。
部屋は普通だったんだけど、お風呂がすごいキレイだった。
普通ホテルのお風呂ってユニットが多いけど、そこはバストイレ別々で、しかもお風呂がガラス張りの床が大理石の、もうマダムって感じだった(何)

女の子同期4人で夜中におしゃべりをした。
私以外は皆彼氏がいて、話題はやっぱりそっち方面に。
フリーターの彼氏がいる子は、いいかげんに普通の職についてほしいとこぼしていた。
自分がちゃんと就職したから余計にそう思うのかな。
夜中まで恋話で盛り上がった。
まるで修学旅行みたいだった(^^)
今日は卒論で学校へ。
相棒と待ち合わせしてたんだけど、ちょっと遅刻してしまった。
だってバスが来ないのよ!(と、バスのせいにしてみる)

今二人で卒論の仕上げに取り掛かっている。
時期的に言えば早い方・・・なんだけども。
うちらの実験、被験者が少ないのだ。
なので卒論でまとめるには、ちょっとやばいんじゃないかと。
だからと言って、これから被験者を集めて同じ実験やっても、多分結果は同じだろう、と先生に言われた。
うーん、確かにそうかも・・・。

なので今卒論としてまとめている実験を、第一実験にして、それを膨らませた第二実験をやらないか?と先生に言われている。
私はやってもいいかなーって思ってる。
だって今の実験だと被験者の人数少なすぎなんだもん。

でも相棒は、ちょっと渋ってる。
卒論を早く終わらせたいって気持ちが強いみたい。
あと、また材料から作り直して実験室予約してってのが面倒って言ってた。
分かるよ〜!(力説)
私もなるべくならやりたくないよ。
早く終わって旅行にでも行きたいよ。
でも被験者が・・・・(;;)
何だかんだ言いながら第二実験やりそうな気がするけどね。
先生に言われたらやるしかないし。

明日は内定先の懇親会が大阪である。
東京支社で働く予定の東京組はお泊りするのだ。
場所は帝国ホテル大阪。
太っ腹ですね、御社よ。
部屋はシングルなのかツインなのか分からないのが微妙。
多分ツインだろうな、お金かかるし。
なので明日の日記はお休みします。

ふあ〜〜

2001年9月11日
今日は昨日の疲れ(早起き)のために1時まで爆睡した。
起きて下に降りると母がTVを観ていた。
TVでは、吉祥寺にあるおいしいお店の特集をやっていて、母は
「ののちゃん、こんなお店あるの?吉祥寺に?」
と目を輝かせて聞いてきた。
吉祥寺には私が通う大学があるから、母は知ってるかもしれないと思ったらしい。

TVで吉祥寺特集なんかやると母は必ず私に
「ここは知っているか?」
「来たことあるか?」
と聞いてくる。
けどそのほとんどは聞いたことのないお店だったり行ったことない場所だったりする。

大学が近いからって、行きまくってるわけじゃないのよ。
むしろ新宿や渋谷の方が行くこと多いのよ。
その方が友達も私も帰りやすいからね。
というわけでもう聞かないで下さい(笑)
知らないって言う度に、
「私ってあんまり大学生活エンジョイしてないかも・・・。」
って思っちゃうのさ。

NYのビルに飛行機突っ込んだニュース観てビックリ!!
ハイジャックなのか?
飛行機が突っ込んでいく映像を観て、日本の特攻隊を思い浮かべてしまった。
ほんとにもう何が目的が分からないけど、戦争が始まったらどうするんだよ。
こんなことしたって何も変わらないのに。

免許取れました♪

2001年9月10日
学科試験を受けて来た。
朝からすごい雨と風で外に出た途端、髪がみるみる湿気を吸い込んでいくのが分かった。
ああ、もし受かったら写真撮らなきゃいけないのに・・・。

試験は1時から。
手続きと適性検査が終わったのは10時過ぎだった。
うーん、時間がありすぎる(汗)
もっと遅く来てもよかったなあ。
とりあえず勉強をして過ごした。

1時になって試験場へ。
試験監督らしいおじさんから説明があった。
「合格発表はこの教室で行います。」
教室で?ロビーでやるのかと思ってた。
「前にある電光掲示板に番号が出るので、出た方だけその場に残って、番号がなかった方は退出して下さい。」
きついなあ・・・。
誰が落ちたか丸分かりじゃん。
ロビーとか広い所でやればバレないのに。
それ聞いて絶対落ちるもんか!と気合が入った。

試験は割とテキパキと解けた・・・・と思う。
ただ二輪車について、
「正しい乗り方は、座った時に両足のつま先が地面につくのが良い。」
っていうのがあって、これが分からなかった。
最初「正」にしてたんだけど、つま先だと不安定だよなーって考え直して「誤」に変えたんだよなー。
帰ってテキストを見直しても二輪車の乗り方については載ってなかった。
果たしてあってるのか謎のままです(笑)

結果は無事合格♪
掲示板に自分の番号が流れた時は嬉しかった。
そしてそのまま写真撮影に行かされた。
せめてお化粧直しくらいさせて下さいよ。
顔はテカってたし、リップははげてたし、髪はボンバってたし、最悪なまま撮影。
もちろん出来上がりは、世の中に不満いっぱいの顔をしていた。
この顔で平成16年まで更新なしです。
訴えようかしら。

家に帰ると母が
「おめでとう!」
と迎えてくれた。
ありがとう、お母さん(^^)
これで私も大人の仲間入りよ。
若葉マーク買ってこなくちゃ。
そう言うと母は、
「うちの車を運転するのよね・・・。」
とボソッとつぶやいた。
不安なのね。

梅酒飲みました

2001年9月9日
母が漬けている梅酒をさっき飲んだ。
市販されているものと違って甘さひかえめで飲みやすかった。

調子にのって2杯、その前にビールを一缶飲んでいたので、今ちょっとハイです(笑)
母は、
「これ焼酎で漬けてるんだからね。大丈夫?」
と心配していた。

あー全然大丈夫。
九州の女ですもの!
梅酒ぐらいで酔えんばい!!
でもいい気持ちにはなったばい!!
日頃全く出てこない九州弁が出てくる私。
偽物くせえ。

明日学科試験を受けてきます。
前日に規則正しい生活をしようと思ったのに、昼1時に起きて夜中にお酒まで飲んじゃって。
こんな自分が大好き。

神奈川飲み

2001年9月8日
今日はネット友達のあやと一緒に遊んだ。
あやとは某ネットゲームで知り合ったんだけど、かなりのゲーマーだ。
あやが開店時間になると行くという行きつけのゲーセンへ連れて行かれた。
そこはあやの得意な音ゲーが全機種100円で出来るという所・・・らしい。

正直言ってゲーセンではプリクラかクレーンゲームかタンバリンぐらいしかやらない私は音ゲーのどこが面白いのか分からなかった。

けどあやの華麗な手さばきには見とれた。
手元を一切見ないで、ボタンを押しまくるあや。
そして最近パラパラにはまってるらしく、パラパラのゲーム機の前でギャル並に踊りまくるあや。
それをボーっと見ている私。
気づくと周囲にはあやのダンスを見る人垣が。
見ちゃうんだよねえ、人のダンスって。

あやは不思議な子だ。
例えばあやが秘密を持っているとする。
それを私がメールやICQ(メッセージをやり取りするシステム)で聞いたとする。
するとあやは答えない、もしくは詳しくは語らない。
けど実際会うと、こっちが聞かなくても、
「この前さあ・・・。」
と話し始める。
何でだ?(・・;)

今日も居酒屋へ行った時に、いろいろと語ってくれた。
私はほとんど相槌をうつだけ。
こういう時にしかくわしく聞けないからいいんだけどさ。
いいんだけど・・・。

でも何となくあやは私の話は聞きたくないのかな、なんて思ったり。
一度も最近どうよ?とか大学は?とか聞かれなかったな、今思うと。
ちとさみしい。

林檎の皮むき

2001年9月7日
今日は1日家にいた。
教習所卒業してから約1週間。
あんなに毎日のように通ってたのに、それがなくなって少しさみしい気がする。
もう1回通えと言われたら嫌だけど(笑)

そして今日の夕食は、にんにくピラフ、かつおのたたき、ピクルスとキュウリとセロリをハムで巻いたもの、煮物だった。
相変わらずにんにくが入ってるのね・・・。

食後に、にんにくの匂いが何となく気になる私。
なるべくにんにくをよけて取ったつもりだけど、臭いかも・・・。

なので以前「伊東家の食卓」でやっていた「にんにくの匂いを一瞬にして消す方法!」を試すことに。
これは林檎を4分の一食べれば、匂いなんてなくなる!というもの。

「1回4つに切ってから剥くと楽よ。」
と台所に立つ私に後ろから声をかける母。
4つに切って、芯を取ろうとすると後ろから
「あー危ない!」
という声と共に母の手が包丁を奪い取った。
「ちゃんとね、こうして親指で押さえなさい。」
と素早く芯を取り、皮を剥く母。
このまま残りも剥いてくれるのかなあ、なんて思ってたら
「はい、やってみて。」
と包丁を渡された。
お母さんがやった方が絶対早いよ・・・(笑)

その後背後からの指令を受けつつ、何とか剥けた。
これでいかに日頃私が料理の手伝いをしてないか、丸分かりですな。
包丁持つの、久しぶりだったもん。

姉の事。

2001年9月6日
今両親の頭を悩ませている事がある。
それは3番目の姉の事。
姉はちょっと前、元彼と復活した。
姉が一番初めに付き合った人で、向こうに好きな人が出来たから別れたんだけど、それから何年かしてまた引っ付いたらしい。
元彼は鹿児島でトラックの運転手をやっている。
私はプリクラしか見たことが無いんだけど、猿っぽい人だった(爆)
姉は美人なのにもったいないと思った記憶がある。

ところが両親は復活に大激怒。
それというのも姉は看護婦をしているんだけど、国家試験の時期にその元彼から別れを言われたらしくって、そのショックで一度試験に落ちてしまったらしい。
その後受かったからよかったようなものの、両親はそのことがあるから、
「一度ボロ雑巾のように捨てられたのに何でまた付き合うの!?」
と、特に母が激怒していた。

私はその頃そんな事情があったなんて知らなかった。
だから落ちたのも勉強不足のせいかな、って思ってた。
第一姉は私にそんなこと一言も言わなかったし。

母は元彼をかなり嫌っている。
昔の事もあるし、元彼がトラックの運転手だっていうのも理由の一つだと思う。
姉は結婚を考える年頃。
可愛い娘には、定収入があり、まじめで人柄の良い人、娘を愛してくれる人を望んでいるんだろう。
母の中ではサラリーマン>トラックの運転手という図式があると思う。

父は母ほど職業にはそれほこだわってはいないみたい。
ただ結婚するなら
「姉が仕事を辞める辞めないは別にして、その男が家族を養える力があるかどうかは気になる。」
らしい。
うーむ、父親らしい考えですな。

私は別に復活してもいいとは思う。
恋愛は二人の問題だしね。
ただもし結婚するとなったら、親子の縁を切られるのは覚悟しておいた方がいいよ、姉様。
親が他人になるほど怖いもんはないよ。

あー、やだなー。
その分のとばっちりは末っ子に来るんだろうなあ。
今だって結婚しなくていいって言われてるし。
パラサイトシングルが身近に感じる今日この頃。

就職課へ

2001年9月5日
今日は学校へ内定報告書を出しに行った。
電車の中で見直してると1箇所書いてないところが!
それは後輩へ向けてのアドバイスの欄。
うーん、何にしよう・・・。
アドバイスできるほど数こなしてないしなあ。
学校に着いて、就職課に入る前に近くにあった机に向かって考える。

まだ夏休みだからシーンとしてる学校。
改装工事をしてるのか、ニスっぽい匂いが漂ってくる。
ふいに、
「もうすぐ卒業なんだなあ・・・。」
と思ってしまった。

とりあえず
「面接では正直に答えるといいと思います。」
等、まともな事を書いて提出した。
まあうちの会社受ける人なんているか分からないけどね。
もしいたら、力になりたいぞ。
昨日着メロを松浦亜弥の「トロピカ〜ル恋して〜る♪」に変えた。
んで、ついでにメール着信音を3人祭の「チュ!夏パーティ!」に変えた。

そしたら昼頃携帯に電話が。
携帯は手元にあったからすぐ取れたんだけど、私はメールが来たと思って鳴り終わるまでほっとこうと
思った。

でもいくら待っても鳴り終わらない・・・。
おかしい、こんなにメールの音長く設定してたっけ?
あれ?待てよ、このトロピカルなメロディは・・・・電話だ!!
急いで電話を取ると、内定先の人事の方からだった。
来週の懇親会の出席確認とのこと。
声が微妙に上ずってしまった。

あっぶな〜(汗)
着メロ変えたばっかだから、分からなかったよ。

ウッチ−と私

2001年9月3日
やっと今日学科の勉強を開始してみた。
教習所で買った問題集を広げてみる。
本試験用の問題を3題やってみると、
1題目86点
2題目92点
3題目88点・・・・・・・・・。

やばいな私(汗)
平均して90点超えてないといけないよね。
・・・・明日もやろう。

夜母が、
「吉本7時半からやってるけど、ビデオ撮る?」
と聞いてきた。
えっ吉本?誰が出るの?
「えーっと今田って言う人と東野幸治と・・・。」
新聞を観ながら答える母。
私の好きな内場勝則さんはどうやら名前が載ってないようだ。
それでももしかして出るかもしれない、と思ってビデオ撮ってもらった。

私が内場さんを知ったのは、大学1年の時。
テレビで吉本新喜劇をやっていて何気なく観ていたら、一人だけ普通っぽい人が出ていた。
それがウッチ−。
あの個性豊かな面々の中で、一人だけまともそうで、いい声してて、観てたらいつの間にかはまってしまった。

新喜劇はどこが面白いのか分からなかったけど、ウッチ−が出てるから必死で観た。
ネットでプロフィール調べたり、ウッチ−が出てる雑誌買い集めたり、大阪にいる先輩に新喜劇ビデオ撮ってもらって送ってもらったりもしたなあ。
そしてウッチ−が子持ちという事実を知って、一人やけ酒飲んだりしたなあ(事実)

友達からは
「あんなおじさん(ウッチ−当時30過ぎ)のどこがいいの!?」
って笑われたけど、あの頃の私はマジで吉本に入ろうかと思ったよ。
すぐ考え直したけど。

今はあの時のような情熱はないけど、時たまテレビでウッチ−が出ると嬉しくなってしまう。
さて、今日のビデオにウッチ−は出てるかな。
出てなかったら速攻消そう。
全員中学生だね。
若い子を取るとは思ってたけど、4人も取るとは。
今までの流れを考えると誰か辞めそうだわ。
ごっちんとかソロになりそう・・・。
小川真琴ちゃんと高橋愛ちゃんが2トップで抜擢されたら面白いだろうな〜。
なっちとごっちんみたいにさ。

学科の勉強をしようと思ってたのに、何もやってない。
効果測定ギリギリで受かったから、もっと勉強しないといけないのに。
教習所終わってホッとしてるのかな。
単に勉強したくないだけかも(笑)

父が夕食の時にボソッと、
「自動車保険に一人追加しないといけないな。」
と言った。
それって私のこと?
いいよ、父上。
運転するかどうか分からないから(笑)

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